数学

2008年1月20日 (日)

ミレニアムの視点

学問を志すのであれば、1000年、2000年 単位の

ミレニアム millennium の視点 」 を持ちましょう

過去に遡るばかりでなく、未来をも見据えて。

     

拙著の執筆中も、

『ギリシャ数学とインド数学 ・・・ 』 を書いたときも

思っていたことですが、とりわけ、

3回にわたる 『アラビア数学 ・・・ 』 を書き終わった今、

このことを強く感じています。

学問は、特定の狭い地域や国、特定の狭い時代の

限られたものなどでは決してなく、

何千年もの長い間、多くの地域、多くの国々を渡り歩き、

多くの人々によって育てられるものだからです。

     

古代ギリシャ数学が、あれほどの大成果を収めるためには、

それ以前の何千年にも及ぶ、エジプトや、バビロニアでの

膨大な知識の蓄積が必要でした。

タレスの出現で、いきなり始まったわけではありません。

また、古代ギリシャ数学だけを見てみても、

ギリシャのアテネが勢力を失ったときに、

アテネに代わって学問の育成を引き受けたのは、

エジプトのアレクサンドリアでした。

ここの王様、プトレマイオスⅠ世は、

(聡明なことに学問、芸術など、文化の発展にも力を注ぎ、

アレクサンドリアを学問の都に仕立て上げました。

現に、ユークリッド以降のギリシャ数学の精鋭たちは、

アレクサンドリアを舞台として活躍したのです。

その後、ヨーロッパが学問育成の活力を失ったときには、

アラビア人が代わって、その重役を引き受けました。

そして、ここでも注目しておきたいことは、

当時のアラビアの指導者が、文化の育成に努力を惜しまなかった

ということです。

また、もうひとつ重要なことは、「地域」 的な見方ですが、

ギリシャ数学とは別に発展していたインド数学を

うまく混ぜ合わせることができた、ということでしょう。

アラビア人たちは、地の利を生かして、

西からはギリシャ数学を、東からはインド数学を取り入れて血肉化し、

自分たち独自の成果をも盛り込んで、

中世ヨーロッパへ引き渡すことになったわけです。

そして、中世ヨーロッパは、

アラビアから来た 「外来文化」 を素晴らしいと認めて、

( 時間はかかりましたが、) 自分たちのものとし、

そこから、大きな発展を成し遂げました。

     

このように、

学問は、

  ( 学問だけじゃないですね、芸術など含めて広く 「文化は、

多くの国々の、多くの人々によって、

何千年もの歳月を費やして、育てられていくものなのですね。

これをしっかり意識しておけば、きっと気持ちが楽になります。

     

たとえば、

日本人は、鎖国を終えてヨーロッパ文明に接したときに、

その文明の優秀さに ひどくカルチャーショックを受けました。

今でもちょっと引きずっているような気もしますが(?)、

何千年の視点を持てば、小さなことにも思えてきます。

ギリシャ数学が 如何なる経過をたどったか を考えてみると、

一気に気持ちが楽になるといいますか。。。

ギリシャ数学が ヨーロッパでは一旦没落し、

   ( ヨーロッパ人たちは、自分たちの偉業を

    うまく子孫に残すことができなかったわけだし、

    また、子孫の側からすれば、先代の偉業を

    うまく受け継ぐことができなかった。)

ヨーロッパでの長い学問的不毛の時代に、

ヨーロッパ人に代わって、学問の継承と育成を引き受けたのは、

アラビア人たちでした。

アラビアで育てられた数学を、今度は逆に

ヨーロッパが輸入することになりますが、そのとき、

中世ヨーロッパが アラビア人から受け取った数学は、

古代ギリシャ数学そのままのオリジナルなどでは決してなく、

インド数学とアラビア数学がうまい具合に混ざり合った

「混血発展型数学」 でした。

しかも、ギリシャ数学が衰退してから、

すでに 1000年近い歳月が経過していたわけですから、

     

   当時のヨーロッパ人としては、それは、

   アラビアという他国から来た 「外来の文化であり、

   決して 自分たちのものという意識はなかった

   のではないでしょうか。

     

100年(ひとりの人間の一生くらい)の視点しか持っていなければ、

劣等感だけ感じて終わり ・・・、かもしれませんが、

1000年単位の視点を持てば、逆です、逆、

   「 自分も発展に寄与したいな~、できるかもな~ (^^) 」

なんて、希望を持てるのです。

日本人は、もともと違うタイプの優れた文化をもっているのですし。。。

要は、過去、多くの人々がしてきたのと全く同じように、

   「 素晴らしい異文化を受け入れて、

    それを完全に自分たちのものとして、それに、

    もともと自分たちが持っていた素晴らしいものを混ぜ合わせて、

    もっと素晴らしいものができれば、それでよい

というわけです。

あ、こんなふうに書いてみると、

こういうのはすでに、日本人は 「お得意の巻き」 でしたね。

国技 といってもいいくらい (^^)

   ( そもそも、これまでの記事で触れることはできませんでしたが、

    日本人には昔から 「数学的センス」 があるのです

    数学は、実は日本のお家芸なんですよね (^^)♪)

     

というわけで、皆さん、

ミレニアムの視点」 を持つことは、肝要です。

あとそれから、、、 「ミドリムシの視点」 も。。。

ミドリムシの視点」 に関しては、いずれお話しいたしましょう!

     ( また、無謀な予告を。。。(^^;)。)

     

さて、ところで、

小中学生レベルの文章読解力で 「ミレニアムの視点」 を持てる本

といったら、、、

私の知る限り、これ1冊だけです。。。
              ↓
さあ、皆さん、 Click here (^^;)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月18日 (金)

アラビア数学に敬意を表して(その3)

「その2(2008/01/12)」 からの続き )

アラビア半島は、

ムハンマド(マホメット)が創始した(610年頃)イスラム教により

統一され、9世紀(800年代)に入るころには、強大な宗教国家に

成長していました。

しかし、

   代々の教主は、いずれも学問の保護と奨励に力を入れたので、

   アラビアは宗教国としてばかりでなく、文化国家としても栄えた。”

   ( 以上、『モノグラフ 数学史』(科学新興新社)、60ページより “引用”

しかも、

   この地域には、ユダヤ教やキリスト教もあり、おおむね、

   宗教的な営みを邪魔されずに続ける自由があった。

   …… 高度な学問の研究所にあっても、他の宗教の人々が

   入る余地はあった。たとえば何人ものキリスト教徒の学者が、

   古代ギリシアの数学文献を翻訳する手伝いをしている。

   ( 以上、『はじめからの数学②代数学』(青土社)74ページより “引用”

    ジョンタバク(John Tabak)著、松浦俊輔(まつうら・しゅんすけ)訳

このように、

イスラム教は、宗教面にばかり力を入れていたわけではなく、

政治や文化全般にいたるまで、強い影響力をおよぼしていました。

重要なのは、

   学問にも力を入れ、自由があった

ということでしょうね。

国家の指導者は、学問に大金を投入したのでしょう。

   9世紀初頭には、首都バグダード「知恵の館」 と称する研究所

   設立され(832年頃)図書館天文台が付設されて、多くの学者

   文化人が集められました。

   シリア語やギリシア語からの翻訳が大規模になされたのは、

   この研究所においてだと言われています。

   ( 以上、 『はじめて読む 数学の歴史』(上垣渉)160ページより“引用”

この 「知恵の館」 を設立した政治指導者は、

アルマームーンという人物で、

   … これらの著作が領国内で得られないときは、アル・マームーンは

   それをビザンティウムという、時として敵対する国にある図書館から

   手に入れた。天文台も建て、学者に独自の貢献をするよう促した。

   その努力は実を結び、当時のバグダッドでは、

   新しい代数学の手法が発達した。” (以上、

   『はじめからの数学②代数学』(ジョン・タバク)76ページより“引用”

     

「知恵の館」

いいですねぇ~、この日本語訳!

やかた」 という音の響きには、

重々しく、(いい意味で)古めかしく、高貴な感じがあるようです。

どこか魔術めいていて 神秘的にも。。。

不思議に包まれた雰囲気」 は、大切ですね、多分。

未知なるものの探究に憧れて、多くの学者たちが引き寄せられて

きたことでしょう。

  ( あの、何気に宣伝というわけじゃないんですけど ・・・

   ・・・ と言いつつ、しっかり宣伝しちゃいますが ・・・ (^^;)、

   『リカちゃんとタロウくん』 で、

   物語の舞台となっている 比と割合のラビリンス

   これは、もろ、バグダードの 知恵の館 のイメージです

   プラトンの アカデメイア、アレクサンドリアの 大図書館

   そして何といっても、バグダードの 知恵の館  (^^)。)

     

さて、この 「知恵の館」 で、

はじめの頃に活躍した数学者の代表が、

ムハンマドイブンムーサーアル=フワーリズミー(780頃~850頃)

という人物。

長い名前ですね (^^;)。

この人は、永久にその名を歴史に刻むことになりました。

な、なんと、「単語」(普通名詞)になってしまったのです

アルゴリズムalgorithm )」 が、その 「単語」 です。

「アルゴリズム」 とは、

「(計算)方法、(計算)手順」 のことで、

「アル=フワーリズミー」 という名が、

ヨーロッパで間違って発音され、「アルゴリズミ」 になり、

後に 「計算法」 を意味する 「アルゴリズム」 になった

といわれています。

日本人にも、名前が 「単語」 になってしまった人物がいますが、

日本の 「助兵衛(助平)」さん とは、エライ違いですなぁ (^^;)!

  ( おっと、脱線している場合ではないのであった

ところで、

なんで 「アルゴリズム」 が、「計算法」 を意味するようになったかというと、

この アル=フワーリズミーさんが書いた 『インド式記数法による算術

は、「アル=フワーリズミー 曰く ( …は、語った。)」

という言葉で始まっていて、

この冒頭の文句が印象的だったためです。

この 『インド式記数法による算術』 は、もちろん、

インド人が発見し(5~6世紀? 9世紀(800年代)末は確実)、

後に アラビアに伝えられた 」 と、「0を用いた10進位取り記数法

を解説したものです。

また、この人は、他に

『 ヒサーブ・アルジャブル・ワル・ムカーバラ 』 というタイトルの

代数学の本」 を書いているのですが、

このタイトルの語の一部、「アルジャブル( al-jabr )」 が、

英語の algebra代数学) という単語になったのだそうな。。。

そういえば (^^)!

高校生のころ、この英単語を憶えたときに、

「なんか、妙~に英語っぽくない単語だな!」 って思ったんですが、

なるほど、外来語(アラビア語)だったわけですね!

  ( まるで昨日のことのように鮮明な記憶です。。。 (^^;)。)

この 「代数学の本」 は、

方程式での、項の「移項」 とか、項の「消去」 とかを解説し、

2次方程式の解法も論じています。

  ( もちろん、現代のように、

   未知数を文字で表したような方程式ではないし、

   数字も、1、2、3 という、いわゆる 「インド-アラビア数字」 ではなく

   「言葉表記」 なのですが。)

どんなふうに解いたかは、

『はじめて読む 数学の歴史』(上垣渉) の 163~164ページに

つきで詳しく解説されています。

今、「」 と申し上げましたが、アル=フワーリズミーは、

2次方程式を解くのに、正方形や長方形の面積を利用しました。

つまり、図形的に(幾何学的に)解いて、

その 「正しさを証明している」 のです。

これは、インドの代数学ではみられなかったことだそうです。

アル=フワーリズミーが、論拠に使った(らしい)事柄は、

ユークリッドの 『原論』 第2巻 のなかの 「ある図」

( ある命題の証明につけられた図 ) なのですが、

本当にそれを参考にしたのかどうかは、確証はなさそう。

しかし、次の “引用” をもって、

アル=フワーリズミーが、

いかにその後の代数学に貢献することになったか

お伝えすることとしましょう。

 ( 以下、 『はじめからの数学②代数学』(ジョン・タバク)

  80~81ページより “引用”

  (アル・フワーリズミーは)自分の解き方が正しいことの証明

   かかる。代数学の分野では、これはそれまでにないことで、

   しかも非常に重要なことだ。

   その証明のためにアル・フワーリズミーが選択した道具は

   幾何学だが、……(中略)……

   アル・フワーリズミーは 自分の代数学を、

   しっかりした論理的基盤の上に築きたいと思った。

   幸いなことに、演繹的推論の既成モデルが手元にあった。

   ギリシア幾何学の古典的著作だ。ギリシア人の幾何学は、

   アル・フワーリズミーにもきっとおなじみだっただろう。

   アル・フワーリズミーが生きていた間は、知恵の館所属の翻訳家は、

   せっせと古代ギリシアの著作を アラビア語に翻訳しており、

   当時は、配慮された数学的な推論の例としては、

   ギリシア人の著作による以上のものは、世界中のどこを探しても

   なかった。その著作には、厳密な証明があふれている。

   アル・フワーリズミーには、厳密な代数学の概念や、

   数学的厳密さのモデルが手近にあったということだ。

   両者を組み合わせて新しいものにしたところが、

   アル・フワーリズミーの偉大な洞察だった。

     

アラビア数学では、

アル=フワーリズミー以外にも、多くの数学者が

いろいろな研究で成果をあげたのですが、

アラビア数学隆盛の後期に現れた

オマルハイヤーム(1048頃~1131頃)をご紹介し、

そろそろ最後の締めくくりといきます。

この人は、3次方程式にまで手を伸ばし、

それを解くために幾何学的な手法を用いました。

な、なんと、2つの円錐曲線の交点として、解を求めたそうです

  (1つの放物線 と、

   あと1つの円錐曲線(放物線、円、双曲線) の交点 )

文字式など全然ない時代ですから、

代数学的に解くわけにはいかなかったとはいえ、、、

いやぁ~、スゴイ根性です (^^;)、 アッパレ!

     

( 以下、『はじめからの数学②代数学』(ジョン・タバク)より “引用”

   アル・フワーリズミーとオマル・ハイヤームの成果は、

   イスラム代数学の最高の、最も創造性のある面の例にも

   なっている。とくに、二人は代数学と幾何学を総合したことにより、

   代数方程式を新しい考え方で考えられるようになった。

   二人の成果により、代数と幾何の間に存在する関係の

   新しい見通しが得られた。二人は後代の人々に、

   代数学を研究するための新しい道具をもたらし、

   代数学の研究における厳密さの水準を高めた。 (89ページ)

     

さてさて、まとめますと、

  この時代のアラビア人たちは、

  外来の文化に対する偏見などまるでなく、

  素晴らしいものを 素晴らしいものとして、

   ガンガン受け入れた

わけですね。

  西からは、「ギリシャ数学」 を、

  東からは、「インド数学」 を。
            ↑
     (「0」と、「0を用いた10進位取り記数法」、
      それによる「代数(数の計算、問題)」)

そして、単に受け入れただけでなく、

知識を自分たちのものとして血肉化し、更に、それをもとに

自分たち独自の研究を進めて、数学を進化させました

ギリシャ数学には、インド式の記数法が欠けていたわけですし、

インド数学には、厳密な論証や、幾何学的知識が欠けていました。

     

  「 両者を融合し、更に進化させたアラビア人たちの業績、

   そして、決して忘れてならないのが、

   完全に消滅の様相を呈していた 古代ギリシャ数学

   完璧に引き継いでくれていたアラビア人たちの業績には、

   計り知れないほど大きなものがある

     

と思うのです。

残念なことに、

この後 アラビア地域は、政治的・宗教的不安定のために

自由に学問する気風が失われ、学者にとっては辛い時代に

入っていきます。

結果、アラビア諸科学は衰退し、今度は逆に、ヨーロッパが、

アラビアの学問を輸入する番になるのです。

これが、前にもお話しました、ヨーロッパでの 「12世紀ルネサンス

なわけですね。

ですから、

   中世ヨーロッパが アラビア人から受け取った数学 は、

   古代ギリシャ数学そのままのオリジナル などでは決してなく、

   その 混血発展型 だった

ということになりますね (^^)!

ヨーロッパ人は、

この 「混血発展型数学」 を、数百年かけて自分たちのものとし、

16世紀あたりから始まるキラ星のごとき 「大開花時代」 に

備えることになるのです。

皆さん、

   アラビア人がいなかったら、

   一体 どんな世界になっていたことでしょうね ?!

考えると、冷や汗が出てくる気がしませんか。。。

というわけで、

     ( いよいよ 「シメ」 です (^^;)

  『 アラビア数学に、

   心の底から敬意を表して、深く、深く、感謝します ・・・

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2008年1月12日 (土)

アラビア数学に敬意を表して(その2)

前回(2008/01/08)からの続き)

今日は いよいよ、

アラビア数学」 を主役に据えねばなるまいと思います。

ところでですね、ここで、遅ればせながら、

私が これまでの記事で使ってきた 「アラビア人」 という言葉と

アラビア」 という言葉について、

ちょっとした 「注意書き」 をしておこうと思います。

まず、「アラビア」 という一つの国があるわけではないのです。

今日の主役となる 「アラビア人」 とは、

  「7世紀初頭(610年頃、注1以降、アラビア地域注2を中心として、

   アラビア語を使って、アラビア文明を築いていた人々

と、大まかに理解しておいてください。

  (注1: 610年(頃)

      ムハンマド(マホメット)が、イスラム教を起こした年。

      このイスラム教によって アラビア半島が統一され、さらに

      より広い地域にまたがるイスラム帝国(というか2大王朝)が成立し、

      文化・学術が栄えることになりました。

      文化・学術の隆盛期は、だいたい 9世紀(800年代)初頭

      から始まり、11世紀(1000年代)あたりが黄金時代だそうです。)

  (注2アラビア地域

      ほぼ 「アラビア半島」 を指してよいと思いますが、

      「アラビア文明圏(科学圏)」 というと、もっと広い地域、

      アラビア半島の北部 も大きく含み、東は 中央アジア、

      西は アフリカ北部、イベリア半島(現スペイン、ポルトガルのある)

      にまで及ぶ地域です。

      要は、この広大な地域に イスラム帝国(王朝)が成立し、

      そこで栄えた文明が 「アラビア文明」 であり、

      学術 に共通に用いられていた言語が、「アラビア語」 であった

      ということなのです。

      そういえば、スペインの建築物 って アラビア風ですよね

      私、すごく好きなんですよね~。 それに、

      スペインの音楽 も、どことなく アラビアっぽいのがありますね

      好きですねぇ。。。 余談ですが。)

     

さて、紀元4世紀(300年代)後半以降、

凄まじいまでの繁栄を誇った古代ギリシャ数学 は、

衰退の一途 をたどります。

学問や芸術などの 「文化」 が育つには、

育つに適した 「培地」 が必要ですが、

当時のヨーロッパには、

  「 古代ギリシャ数学を継承して、育て上げるだけの培地がなかった

   (なくなってしまった)」

ということが、結果的には言えると思います。

理由は いろいろあったでしょう。

後述しますが、主には 2つくらいの理由 が挙げられると思います。

1つは、

  ギリシャ・アレクサンドリアを滅ぼして 地中海世界全域を支配し

  栄え始めたローマ帝国 と、そこの人々の価値観 が、

  数学(などの学問)を発展させるには 向いていなかったこと。

  あれだけの大帝国が長く繁栄したのですから、

  優れた文化をもっていたのでしょうが、 ( ← 注:2008/01/13

  要は ローマ人の得意分野は、もっと違うことだったのです。

そして、あと1つは、

  キリスト教の台頭です。

  「 これの シバリ は、きつかった!

  キリスト教の きつすぎるシバリのために、自然科学者は

  長い長~い間、さまざまな辛酸をなめることになりました (>_<)

  学問や芸術の 醸成 には、「自由」 が不可欠 なのですが ・・・

もっとも、こういうことを 否定的に見るのは残念だ、とも

同時に思うんですね。

歴史的に既に起こってしまったことですから、「必然であった」 と、

そして、「なんらかの肯定的な意味があった」 と見るほうが、

健康にいいですし、実際 そのようにも見えます。

冬眠の時期 が必要であったのだ」 と、そして その時期に、

別の重要な事柄が進行していたのだ」 と、

私は、そんなふうに考えたいと思うのです。

このへんの 経過事情 を、以下に、参考文献から “引用” して

お伝えすることにします。

     

     *         *         *

  (以下、モノグラフ 数学史』(科学新興新社)62ページより“引用”

   紀元5世紀の末に 西ローマ帝国は、北方ゲルマン族によって

  倒されてしまった。このゲルマン族は 野蛮な民族といわれていたが、

  ヨーロッパを支配してからは、順次にローマの文明をとり入れ、

  農業を主とする封建社会を作っていった。そして、精神的な面では、

  キリスト教が絶対的な支配権をもつようになっていった。

  したがって あらゆる学問は、寺院の学校で教えられ、

  一般の庶民は これに関係しなかったので、

  6世紀 から11世紀 にかけての ヨーロッパの数学 は、

  宗教数学、寺院数学 ともいうべき性格のものであった。

  したがって当時の数学は、ローマ風の算数 と、

  時日をきめるための 暦の計算 などが主なものであった。

     

     *         *         *

  (以下、数学史入門~微分積分学の成立』 佐々木力(ささき・ちから)

   96ページより、微妙に表現を変えて “引用”

   …… その地の文化(古代ギリシャ数学)は、しかしながら、

  ギリシャ語圏 においては継承されなかった。

  アレクサンドリアで数学者たちが活動した場所 は ……

  ムーセイオンmuseum の語源。なので、学術施設 と考えてください。)

  であったと考えられるが、

  ムーセイオンの後継施設 は ギリシャ文明圏では建設されず、

  ムハンマドが創始したイスラム教のもとに設置された。

  首都 バグダード の 「知恵の館」(832頃創設)が それである。

     

     *         *         *

  (以下、『はじめて読む 数学の歴史上垣渉(うえがき・わたる)

   3~4ページより “引用”

  紀元4世紀になると、古代ギリシアにおける独創的な数学研究

  衰退 していきますが、主要な研究成果は ギリシア文明圏から

  ビザンティン文明圏へ、そしてシリア文明圏へと引き継がれていきます。

  さらに シリア的ヘレニズム諸科学は、アラビア語訳されて

  アラビア文明圏へ移入され、アラビア学術文化の勃興の時代

  始まることになります。

  アラビア学術文化 は 11世紀黄金時代 を迎えますが、

  この学術文化を 今度は 西欧世界が摂取する ことになります。

  それが 12世紀の西欧における 大翻訳時代 の到来であり、

  一般には 「12世紀ルネッサンス」 と呼ばれます。

  ……(中略)……

  これらの地域(12世紀ルネッサンスの中心地域)

  アラビア語文献 や ギリシア語文献 の ラテン語訳 が進められていった

  のです。

  これらの ラテン語訳 を通して、

  西欧世界 学術文化の華が開花することになります。

     

     *         *         *

  (以下、『はじめて読む 数学の歴史上垣渉(うえがき・わたる)

   208ページより “引用”

   フィボナッチ(1170~1250)は、12~13世紀 における中心的な

  商業都市であり、斜塔で有名なイタリアのピサ市に生まれ、

  本名を ピサ の レオナルド と言います。彼は エジプトからシリア、

  ギリシア、シシリーなどを旅行し、アラビア数学を学ぶ機会を得た

  のですが、そのアラビア数学が当時の中世ラテン世界でのそれよりも

  はるかに優れていることを知り、その内容を伝えるために

  算盤の書』(注3)(1202年)を著したと言われています。この著作は

  ヨーロッパに インド・アラビア数字 を輸入するとともに、

  新しい算術 多くの数学的知識 を伝えたことで知られています。

  (注3: この 『算盤の書』 は、

      「算盤(そろばん)」 について解説したものではなく、

      その表題とは裏腹に、インドアラビアの数学、

      10進位取り記数法、その計算法 などを解説したもので、

      これらは 「筆算」 と呼ばれています。

      フィボナッチ以前の中世ヨーロッパでは、

      計算するのに 「算盤(そろばん)」 が使われていました。しかし、

      インド・アラビア由来の 「筆算」 のほうが、実用上でも、

      学問上でも優れていたため、ヨーロッパでも次第に 「筆算」 が

      広まることになりました。

      もっとも、「筆算に対する抵抗には根強いものがあり、

      当時のヨーロッパでは、寺院数学に固執する 算盤派」 と、

      実用性を重んじる 筆算派」 との間で、争いまであった

      ということです!

      新しい概念( 「」 および 「0を用いた10進位取り記数法」 )

      受け入れられるには、長い時間が かかりました。

      新しい概念は、いつの時代でも 「抵抗を受ける」 のですね

      肝に銘じておきたいですね

     

     *         *         *

そして最後に、究極の引用 をいたします。

  (以下、偉大な数学者たち岩田義一(いわた・ぎいち)

   26~29ページより “引用”

   …… 紀元4世紀には 数学 も 他の学問 も すっかり衰えてしまい、

  その廃墟の上に キリスト教だけが さかえた。

  カルタゴ、ギリシアを滅ぼして地中海世界を統一したローマは、

  戦争と政治には すぐれた手腕を示したのだが、

  数学 については エジプト、アッシリアのレベルを出なかった。

  なるほど ローマは大きな軍用道路をひらき、水道をひき、

  数万人をいれる大きな円形劇場(コロセウム)をつくったことは事実である。

  ……(中略)……

  一体に ローマ人は 実用ばかり重んじて、数学など少しも重んじなかった。

  アルキメデスにひどい目にあわされても 目が覚めなかった注4

  というより、まるで 数学的才能がなかったのであろう。

  私たちは キケロアルキメデス を、

  「砂とコンパスに日を送る いやしき小人」 といったのを知っている。

  キケロは ローマにならぶ人なき文人、雄弁家 であり、

  ギリシア文化を愛した人であった。……(中略)……

  そのキケロが こんな言い方をするのであるから、

  数学 については ローマは どうにもならない国であった。

  アレクサンドリアの大図書館を 焼きはらい、コロセウムに

  グラディアトル(剣士)と猛獣を闘わせて楽しんだローマ人は、

  オリンピアやピュティアに創作、競技をきそったギリシア人の弟子

  というよりも、かの残忍なアッシリア人に近いものであった。

  彼らが殺したギリシア第一の数学者注5を理解するのに、

  ローマのあとをついだ西ヨーロッパは、その後 2000年の歳月注6

  ついやしたのである。

  もし アラビア民族 あらわれて

  ギリシアの文化を うけつがなかったとしたら、

  想像もできないほどの光明をはなったギリシア文化は、

  ありうべからざりしこととして、後の世には伝わらなかったかもしれない。

  ギリシアの数学の発展を はばんだものは、

  ローマのせまい実用主義だけではなかった。

  もう1つは 狂信的なキリスト教徒であった。

  イエスの福音を信ずる彼らは、異教のものも見のがすことができなかった。

  たて直されたアレクサンドリアの図書館 は、

  紀元4世紀テオフィロス大主教のひきいる狂信的なキリスト教徒 によって、

  また 焼きはらわれてしまった。

  アレクサンドリアにあらわれた最後の数学者 ヒュパティア)は

  狂信的な人々のため 石で打ち殺され、死体を きりきざまれた。

  キリスト教には このほか 別の宗派 があった。

  彼らは 正統派 からは しりぞけられていたが、

  彼らこそ ギリシア文化 を アラビアに伝えた人たち だった。

  ……(中略)……

  そのころ、西の方ヨーロッパでは、ローマ帝国に侵入してきて

  帝国を滅ぼしてしまったゲルマンの蛮族どもが、

  しだいにキリスト教の教えに従い、少しずつ文明に向かってきていた。

  11世紀 にはじまった十字軍戦争は、ヨーロッパの人々に

  東方世界の文化の高さを知らせ、キリスト教への熱心をさまさせた。

  ヨーロッパはそれ以後 アラビアの文化をとりいれることに熱心であった。

  そして イタリアルネッサンス となったのである。注7

  (注4: ローマ軍は、アルキメデスの発明した数々の武器に、非常に

      苦しめられたので、その文明の利器を生み出すもととなった学問

      (数学・物理学・工学)の アリガタミ に気づいても良さそうな

      ものなのに、相変わらず数学などを軽んじた。 ということです。)

  (注5アルキメデスのこと。ローマ軍の一兵士により 殺されました。

      もっとも、このときのローマの将軍マルケルスは 賢明な人で、

      「アルキメデスは 決して 殺すな」 と命令をくだしていた

      のですが ・・・。 将軍マルケルスは、

      アルキメデスの死を心から悼んで、名誉ある葬儀をいとなみ、

      彼の家族に手厚い保護を与えたとのことです。)

  (注6: 「2000年」 ではなく、「1000年」 のほうが納得できる気がする

      のですが、私の気のせいでしょうか ・・・?)

  (注7: この引用部分だけを読むと、ローマ人や キリスト教を

      手厳しく批判 しているだけの印象 を受けますが、それは、

      そういう部分のみを 私が抽出したから そう見えるだけの話で、

      この岩田義一さん 偉大な数学者たち』 は、全体的に

      とても優しい穏やかな文体で書かれており、学問や学者、また、

      それを支えた周辺の人々に対しての 慈愛 を強く感じます。

      ことに、夭折の天才数学者 アーベルガロア についての記述 は

      じィ~ん と来ますよ  読んでよかったなぁ。。。)

     

さてさて、上記4冊からの “引用” でみたとおり、

古代ギリシャ数学 は、ヨーロッパでは没落 してしまいました。

北イタリア や 北東スペイン などを中心として起こった 「12世紀

ルネサンス」 までの間、 ヨーロッパ人に代わり、

   アラビア人が、数学(その他諸科学の 「熟成発酵」、

   そして 「再編成」 を、一手に引き受けたのです。

アラビア人たちは 地の利 を生かし、

西からは ギリシャ数学 を、東からは インド数学 を取り入れて、

独自の数学アラビア数学発展させることになります。

その舞台となったのが、

バグダードに設立された学術施設、「知恵の館」(832頃設立)。

そして、そこでの 重要人物 の筆頭が、

アル = フワーリズミー (780頃~850頃)。

「アル = フワーリズミー」「知恵の館」

そして 「アラビア数学」 については、

次回の記事で語ることとしましょう。。。 (^^;)。

     

  ( あれ?  どうにも こうにも。。。

   なんで、こういうことに なってしまうのでありましょう?

   ○○は 死ななきゃ治らない。。。

   今日の書き始めのタイトルは 「・・・(後編)」 だったのですが、

   よくよく考えた末に、「・・・(その2)」 にすることにしました。

   「・・・(中編)」 という手も、あるにはあったのですが、、、。

   ま、ここはひとつ、大目に見てやってください (^^;)。 )

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月 8日 (火)

アラビア数学に敬意を表して

2008年、あけましておめでとうございます

   ( もう8日ですが ・・・ (^^;)。)

今年最初の記事は、これしかないかなぁ~、

・・・ ということで、今日は意を決し、

アラビア数学 について書くことにしました。

「勉強する」 と言いつつ 大した成果も上がらず、

うまくお伝えできるかどうかわからないのですが、

ま、ここはひとつ、お手柔らかに。

  ( 自らのパープリンさを考慮せず、

   なぜにあれほど 「無謀な予告」 をしてしまったのであろうか ・・・

   ま、そのへんが 「パープリンの一大特徴」 なのでしょう (^^;)。)

     

今日の記事の主な参考文献は、次の3冊。

『 はじめて読む 数学の歴史上垣渉(うえがき・わたる)著

モノグラフ 数学史 (改訂版)』
 矢野健太郎(やの・けんたろう)著、茂木勇(もぎ・いさむ)増補

数学史入門~微分積分学の成立 』 佐々木力(ささき・ちから)著

     

さて、以前から、「アラビア数学」 といえば、

ギリシャ数学やインド数学ほど高い評価を与えられておらず、

注目度もさほど高くない ・・・、という印象で、

今でも相変わらず影が薄い ・・・

というのが実際のところではないでしょうか。

   「 ギリシャ数学 と インド数学 を結合させるのに

    重要な役割を果たした。つまり、古代ギリシャの数学が、

    (10進位取り記数法に代表される)インドの代数学を吸収して、

    12世紀ルネサンス以降(とりわけ16世紀以降)、ヨーロッパの地で、

    数学が爆発的に進展するための中継を担った

一般には、この程度の認識であったろうと思うのです。

   ( 私だけ ・・・ (^^;)?)

しかし実情は、

   アラビア数学 は、

   単に ギリシャ数学 と インド数学 を結合させるための

   中継を担ったばかりでなく、国際的な特徴を持ちながらも、

   独自の成果を生み出した独創的な数学文化 であった

との認識がなされているようです。

     

歴史的な流れを大まかに見てみましょう。

     

現代の 「数学」 の、学問としての」 誕生注0)は、

古代ギリシャのタレス注1)の時期、つまり紀元前600~500年代

とみることができます。

以降、ピタゴラス(紀元前500年代、注2)を経て、

プラトン注3)とその弟子たちの時期(紀元前400~300)くらいまで

ギリシャ人によるギリシャの地での発展で、

その後、ユークリッド(紀元前300くらい、注4以降は、

場所をエジプトのアレクサンドリアに移しますが、

ユークリッドをはじめとして、あの元祖大天才との誉れ高い

アルキメデス(紀元前200年代、注5)も、ギリシャの数学者(科学者)であり、

アルキメデスと同時代人のアポロニウス注6)、

その後、ヘロン(紀元前100前後、注7)、メネラウス100頃、注8)、

トレミー150頃、注8)、ディオファントス250~300頃、注9)と続き、

パッポス300~350頃、注10)あたりを最後として、このへんまでは、

数学の聖地は(エジプトの)アレクサンドリアですが、

上記学者たちはいずれもギリシャの数学者とされています。

アレクサンドリアでの数学は、ギリシャ文明圏の産物、つまり、

古代ギリシャ数学とみなされているのです。

     

  (注0:「数学」 の 「学問としての誕生

      タレス以前にも、もちろん数学はありました。

      エジプトとバビロニアの数学古代オリエントの数学)です。

      しかも、得られていた知識は膨大、実用上は何の支障も

      出ないほど確実なもので、ギリシャ人のタレスも、

      エジプトで実用的な数学を学んだのです。しかし、

      エジプト人やバビロニア人は、実用的な知識を山ほど持ちながら、

      なぜか証明には関心がなかった。野﨑昭弘 『 不完全性定理

      ~数学的体系のあゆみ 』 19ページより 引用 とあるように、

      「数学」 が 「学問」 として体系立ったのは、

      「根拠を問うこと」 を重んじたタレス以降のこと となりましょう。)

  (注1タレス(紀元前624?~前546?)

      エジプトやバビロニアで蓄積された膨大な 「実用の数学」 に

      根拠を問い、論証を与えようと試みた歴史上初の人物

      されています。そんなわけで、「ギリシャ数学の祖」 と、

      そしてまた、「西洋哲学の祖」 とも呼ばれているのです。

      『 不完全性定理~数学的体系のあゆみ(野﨑昭弘)』 では、

      タレスの学問追究の態度が、非常にわかりやすく解説されて

      います。)

  (注2ピタゴラス(紀元前560?~前480?)

      ピタゴラスの定理(三平方の定理)で有名。

      彼が開いたピタゴラス学派は、数学者集団といってよいと思いますが、

      数多くの数学的業績以外にも、ちょっと不思議な教義をもった

      宗教的色彩の濃い集団でもありました。

      ピタゴラスは、√2(無理数)の存在を知りつつ、それをどうしても

      認めたくなかったので、弟子たちに強く口止めし、

      それを破った弟子にはバチが当たったとかナントカ ・・・

      それと、私がピタゴラスについて是非とも特筆したいのは、

      「音楽」 というものを、単なる 「芸」 としてだけではなく、

      「学問(数学的学問)」 としても取り扱っていて(音階論)、

      「音楽には、人の魂や肉体に働きかける何らかの作用がある

      と考えていたらしい、ということです。

      「音楽」 と 「数学」 は、縁が深いのですね~♪

      このへんのこと、詳しく知りたい方、

      『 はじめて読む 数学の歴史(上垣渉)』 を読んでみて (^^)♪)

  (注3プラトン(紀元前428?~前348?)

      プラトンは哲学者として有名ですが、数学でも大きな貢献をした

      みなされています。彼が創設した学園アカデメイア」 の門には、

      「幾何学を知らざる者は、この門を入るべからず」 という標語が

      掲げられていたといいますが、このことからもわかるとおり、

      プラトンは数学幾何学を非常に重要視していました。

      実際にプラトンの著作物の中には、数学に深くつっこんだ記述が

      多く見られ、著書 『 ティマイオス 』 の中で、

      5種類しかない 凸正多面体 について論じていて、

      この5種の 凸正多面体 は、「プラトンの立体」 とも呼ばれています。

      ( 正面体、正面体、正20面体 ← すべての面が 正3角形

      ( 正面体(立方体) ← すべての面が 正方形

      ( 正12面体 ← すべての面が 正5角形。 キレイ! 神秘的!

      プラトンは、ピタゴラス学派の数学者幾何学者と交流があり、

      その思想を受け継いだといわれています。

      プラトンの数学論に関して、一通りのことを知りたい方は、

      『 はじめて読む 数学の歴史(上垣渉)』 が おススメ、優良図書!

      数学史かじってみたい方、まずこれを読んでみては (^^)!)

  (注4ユークリッド(紀元前300前後。ギリシャ名:エウクレイデス

      「ギリシャ数学の金字塔」 にして 2000年以上の風雪にたえた

      歴史的名著 『原論 著者編纂者)。

      ユークリッド個人に関しての正確な伝記がほとんどなく、

      謎めいた人物とされています。

      複数の数学者集団だったのではないか、との説さえあるようです!?

      アレクサンドリアの王 プトレマイオスⅠ世 に 幾何学を教えた

      との伝説が残っているので、やはり 1人の個人かな ・・・

      とは思いますが、ホントのところはどうだったんでしょうかね?

      非常に興味をそそられます (^^)。)

  (注5アルキメデス(紀元前287?~前212)

      ギリシャの生んだ 「元祖大天才

      理論証明を重んじる数学者」 としての側面ばかりでなく、

      実際問題に応用する技術者」 的側面をも併せもった 大天才

      天才にありがちな 「なりふり構わず」 ということでも、

      まず最初に話題にされる人物といえるでしょう。

      数学的センス野﨑昭弘)』 の 156~159ページ に、

      この大天才についての魅力的な記述があります。

      入浴中に浮力の原理を発見して、うれしさのあまり

       ス○○○○○グをやった…… 部を伏せ、引用

      有名な 「ヘウレーカ (わかった)」 の一件ですけれども、

      こういう箇所がチョロっとあるので、決して硬いばかりの

      数学本ではありません。○○部分は、読者のお楽しみなので

      伏せました。実際に読んでみて (^^)!)

  (注6アポロニウス(紀元前260??~前200??)

      『 円錐曲線 』 で有名。 ・・・ うぅむ、これしか書けんっ

  (注7ヘロン(紀元前100前後?? 前60頃活躍との説。)

      三角形の3辺の長さと、その面積の関係についての

      「ヘロンの公式」 は有名。

      ところで

      な、なんと へろん で変換を押したら 屁論 と出ました (^^;)

      「 こいつ、主人に負けないキャラクターだなぁ。。。

       なかなかやるじゃないか、かわいいヤツだ」 と、

      思わずパソコン本体の頭部を なでなで してしまった私。

      それとも おちょくられている のでありましょうか

      ま、こやつには日頃非常にお世話になっていることだし、

      できるだけ好意的に解釈してあげよう。。。

      パソコンが持ち主に似るなんて、聞いたことありませんが、

      あまり考えたくないですね (^^;)。

      そうだ!  お宅のパソコンはどうでしょう?!

      やってみて、やってみて!!  「へろん」 で 変換 押してみて!!

      結果はコメントで大募集 o(^-^)o

      名付けて、 へろん変換問題

      うぅ~む、、、くだらない。。。   あまりにも、、、くだらない。。。

      新年早々、・・・ やってしまった ・・・。)

  (注8メネラウス(100頃活躍)。『球面論』 の著者。時代先取ってかんじ

      トレミー(100~170頃。別名プトレマイオス)

      両者とも数学者としてよりは、天文学者として有名かも。

      「メネラウスの定理」 や 「トレミーの定理」 など。。。)

  (注9ディオファントス(250頃活躍)

      近世整数論の父。『数論』の著者。古代ギリシャ数学といえば、

      なんといっても 「幾何学(図形の学問)」 のイメージですが、

      そんな中にあって、「代数(数の問題)」 を研究したことで有名。

      1000年以上後の数学者 フェルマー オイラー など

      大きな影響を与えることになりました。・・・ そう、あのフェルマー、

      フェルマーの最終定理」 の ピエール・ド・フェルマーです

      フェルマーは、ディオファントスの 『数論(算術)』 をバイブルとして

      数論の研究に没頭していたのです。 ・・・・・・ 結果、

      あんな気違いじみた謎かけ(失敬をして、後世の数学者たちの

      頭を悩ますというか、もうほとんど人生を狂わすことになった

      わけなのです。しかし、あの 「謎かけ」 によって得られた利益は、

      宇宙規模の金鉱脈ダイヤモンド鉱山あるいはいっそ、

      一個の天体とも言うべき莫大なものであったようです。詳しくは、

      『フェルマーの最終定理(Fermat's Last Theorem)』(新潮文庫)

      サイモンシン(Simon Singh)著、 青木薫(あおき・かおる)

      を読まれたし おもしろい 勇気が出る 泣ける (>_<)

  (注10パッポス(300~350頃活躍)

      『数学集成』の著者。

      「古代ギリシャ数学の最後の光芒」 ともいわれているそう。

      パッポスの 『数学集成』 に関しては、

      『 はじめて読む 数学の歴史(上垣渉)』 に詳しく解説されて

      います。ぜひとも読まれたし (^^)。)

     

とまぁ、()がやたら長くなってしまいましたが、

要は、紀元前600~紀元350くらいまでの長きにわたり、

ギリシャ数学は、ギリシャ、そしてエジプトのアレクサンドリアで

超ど級の繁栄を誇るのです。

では、これほどの大成果を収めたギリシャ数学は、

その後も順調に、この地で繁栄を続けるのか ・・・

答えは、「」 であります。

ヨーロッパでは継承されず、まぁ、早い話が 「消滅 してしまうのです!

   ( あえて、「消滅」 と言ってしまいましょう! 

    ただし! この地(ギリシャ、アレクサンドリア)では!)

この数学文化(および諸科学)を しっかり継承し、

なおかつ育て上げたのは、ヨーロッパ人ではないのでありまする

もっと東側 に住んでいた人たち、

本来ならば今日主役になるはずだった 「アラビア人たち です。

アラビア数学については、次回の記事で語ることとしましょう。。。 (^^;)

     

   ( あれ? なんでこういうことになったんだろう?

    我ながら、信じがたいほどの無計画な構成

    アホとしか言いようがない。

    記事のタイトルを変えずにこのままアップしてよいものかどうか、

    うぅむ。。。

    迷うところだが、このまま変えずに決行することにする。

    アホは果てしない。。。

    職業柄、「アホにつける薬はない」 ことは、

    よくわかっているのでありまする。

    今年も、ヨロシク  (^^;)。 )

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年12月20日 (木)

野﨑昭弘 著 『不完全性定理 ~数学的体系のあゆみ~』

今日ついに、41才になりました!

   ( いやぁ、なかなかイイ響きの数字ですなぁ。。。 (^^;)。)

   ( そういえば、昭和41年生まれだし。)

というわけで、今日はお誕生記念スペシャルということで、

「お世話になったあの本、この本」 をお題に書くことにしました。

実はここ数日、「お世話になったあの人、この人」 にしようか、

それとも、「あの音楽、この音楽」、いや、「あの映画、この映画」?

と、何について書くか、ちょいと悩んでいたのですが、

・・・・・・・・・ 結局、本」 を選びました。

今年は、『リカちゃんとタロウくん』 が、現実の形となった記念の年。

これを書くに当たっては、本当に多くの 「本」 に、

インスピレーションを与えていただきました  ですので、

感謝の気持ちを込めまして。。。

         

とはいえ、挙げ始めたら 「アレもコレも」 と、結構キリが無い。。。

直接的に最もお世話になったのは、2007/11/24の記事で取り上げた

数学小辞典(共立出版)』 なのですが、

ワタクシ、『リカちゃんとタロウくん』 の中で、

読んでくださる皆さまにスゴ~クお伝えしたかったことがありまして、

それは何かっていうと、

(やはり、2007/11/10の記事で書いているのですが、)

   「ギリシャ数学を築き上げた人々の偉大さ」、

   「古代ギリシャ人の、学問自然科学のみならず、哲学なども含む!)

    を追究する、徹頭徹尾、厳密な態度」

これに、感謝の意を表明して、皆さまにも、ちょいと頭の片隅に

引っ掛けておいてほしいかな、、、ということなのです。

ですので、今日セレクトして、皆さまにご紹介したい本は ・・・

野﨑昭弘(のざき・あきひろ)先生数学的センス と、

不完全性定理 ~数学的体系のあゆみ~』 の2冊です。

 ( いずれも筑摩書房 「ちくま学芸文庫」 から文庫版が出ています。)

     

野﨑昭弘先生は、この2冊のご著書で、

古代ギリシャの学者たちの 「なぜ、○○○なのか?」 と根拠を問う姿勢、

「そんなの、当たり前じゃん」 で片付けてしまわずに、

×××だから、○○○なのである」 と、

どんなに自明と思われるような基本的な事柄でも、

「本当にそう(正しい)だろうか?」 と、最初は一応疑ってみて

絶対に疑いようのない前提まで一旦戻ってから、

そこから一歩一歩問題を明らかにし

最終的に○○○であると結論付けていった学問的姿勢を、

ギリシャの奇跡」 である、 と称えていらっしゃいます。

     

以下、…… 部分野﨑昭弘著 『不完全性定理(文庫版)』 より引用

  ところで最近の自然科学の書物は、10年もたてば内容が古くなり、

  30年以上も読み続けられる本はそう多くない。

  それを思うと 2000年 を超える寿命を保ち、しかも評価がますます

  高まったユークリッドの 『原論』 は、まさに空前絶後の本である。

  ただその理由としては、そのスタイルだけでなく注1内容の高さも

  強調 しなければならない。もっと前に述べるべきことだったかも

  しれないが、『原論』 は 「あたりまえのこと」 から始めて

  しだいに高度な定理に進み、幾何学では円の面積や

  円錐・球の体積についての厳密な議論 (たとえば円の面積と

  その直径の2乗の比が一定であることの証明)、

  自然数の理論では 「素数が無限に存在する」 ことの証明まで

  行われている。これはエジプト、バビロニアが何千年もの歴史を

  通じて到達しえなかった境地であり、そこまでわずか 300年 ほどで

  到達した注2ことを示すユークリッドの原論は、

  「ギリシャの奇跡」 の記念碑、まさに金字塔である。(47~48ページ)

   (注1:「スタイル」に関して野﨑先生は、これに先立って35ページで、

       以下 “引用” のように解説されてます。)

   … しかし 『原論』 は、その内容の高さもさることながら、

  そのスタイルがすばらしく、理論的体系の模範と考えられてきた。

  そのスタイルとは、ひと口でいえば

     まず前提を明らかにし、それから一歩一歩、証明を進める

  ということである。(『不完全性定理』35ページ)

   (注2:野﨑先生は、この学問的態度の始祖として、最初に

        タレス( Thales、紀元前 624? ~ 前 546? )のことからお話を

       始められ、そこからユークリッド ( エウクレイデス Eukleides、

       紀元前 330? ~ 前 275? )が現れて 『原論』 にまとめ上げるまでの

       「300年」 ということをおっしゃっています。)

     

野﨑先生は、タレスさんのお話が大好きでいらっしゃるようで、

数学的センス』 の 「第10話: 知的センス」 の中でも、

151~152ページに (149~154ページまでとすべきかも?)、

スペースを割いて解説なさってます。

それによりますと、ご著書 『π(パイ)の話』(岩波書店)の中でも、

タレスさんのことをお書きになったとのことです (^^)。

  ( 私は、『πの話』 は未読なのでありまする。。。)

     

私は、この、

   「 古代ギリシャ人の学問追究に対する姿勢に敬意を表する 」

ということに、心底同感する者であり、

これが、今日の記事で、野﨑昭弘先生のご著書について

書かせていただいた理由です。

     

もっとも、ちゃんと補足せねばなりませんが、

不完全性定理~数学的体系のあゆみ~』 でのテーマは、

何と言ってもあの

    天才数学者 クルト・ゲーデル(1906~1978) 不完全性定理

なのです

野﨑先生ご自身も、

    「 だいじなところは 第1章、第2章、第6章 であり、

     とりわけ 「第6章ゲーデル登場)」 が 「華」 である

とおっしゃってます。

     

また、世紀の大数学者 ヒルベルト(1862~1943)の 「鶴の一声」 が

キッカケとなり始まったとされる 超数学(メタ数学) 発祥の物語

第5章超数学の誕生)」 も、この本の重要な読みどころでしょう。

野﨑先生は、ヒルベルトのことを、スーパースター、ヒルベルト

時たま呼んでいらっしゃいます。

いい呼び名ですね  スーパースター、ヒルベルトくん (^^)

     

またまた、個人的には 「第3章集合論の光と陰)」 も、

しっかり読みたい章なのです。

私は、中学入学4月のはじめ、それまでの 『算数』 から

いよいよ 『数学』 に入る、というまさに 「数学導入のしょっぱな」

集合』 を教わった new math 世代)の生き残りなのです。

小学校の算数でも、集合について 「ちょびかじり」 をしていたと思います。

それに

集合論の創始者であるカントル(1845~1918)には、

何か非常に引きつけられるものがありまして。。。

いつか、カントルさんのことを記事にできたらなぁ ・・・、 無理かなぁ。。。

     

というわけで、

今日はこの、野﨑昭弘不完全性定理 ~数学的体系のあゆみ~』

数学的センス の2冊を、

数学を志す人のみならず、学問を志す人、あと、教師を志す人

ぜひともススメしたいと思います (^^)!

   ( それ以外の皆さまも、ぜひどうぞ!)

    「 エラそうに人にススメる オノレ は、理解できとんのか?

と、もし問われれば、、、、、

    「 ハハハ。。。(^^;) 」 

と、お茶を濁すしかないのでありまする

でもですね、

不完全性定理 ~数学的体系のあゆみ~』 のほうは、

確かに難攻不落以外の何物でもないのですが、

数学的センス』 なら、比較的読みやすいですよ (^^)!

    「 じゃあ、数学的センスのほうは、理解できたとでも言うのか?

と、お尋ねになりますか ・・・ ? 

そうですか ・・・、    ええとですね ・・・

    「 ハハハ。。。 (^^;) ??? 」  

とだけ、お答えしておきましょう。

世の中には知らなくてもいいことが、あるものです。 ハイ。

     

さて、最後になりましたが、このブログ始まって以来

2度目の懺悔』 を、今ここで、いたします。

     

* -------- 懺悔文 ---------------------------- ** *

私は、『リカちゃんとタロウくん』 ( 本文 235 ページ ) で、

パラドックス」 について茶化しすぎたことを書いてしまいました。

野﨑昭弘先生が、何冊ものご著書の中で、

パラドックスに関して、いろいろと啓蒙に努めていらっしゃるのに

その足を引っ張るようなマネをしてしまいました。

受けネライ」 であったことを、白状せねばなりません。。。

申し訳ございません。 どうか、お許しください (^^;)

* ------------------ * ** * ------------------------------- *

     

それでは、皆さま、今日はこのへんで。。。

え? 

ビートルズその4」 は どうしたかって?

ハイハイ、ちゃんと書きますですよ~、  ( そのうちに (^^;)。)

     

では、このへんで。。。

え?

アラビア数学2007/11/10で予告)」 は どうしたか ・・・

・・・・・・、そういえば、そんなこと言ってましたっけね。。。

  ( 2人の友人から脅迫まがいの電話をいただいております。

   誰とは申しませんが (^^;)。。。)

ハイハイ、ちゃんと勉強している最中ですからね~、

もうちょっと待ってくださいね~ (^^;)

  ( 自分で自分の首を絞めている今日この頃でございます。。。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月24日 (土)

『数学小辞典』 矢野健太郎 編

今日は、

数学小辞典矢野健太郎 編 (共立出版株式会社)について。

              

この共立出版の 『数学小辞典』 には、大変お世話になりました。

まずまずこれに感謝しなくてはならないのです、私は。

何しろ、これをパラパラめくって遊んでいたおかげで、

を1冊書き上げることができましたから。。。

                                 

この 『数学小辞典』 との出会いは、

今をさかのぼること15年前、1992年4月、

場所は、JR御茶ノ水駅のすぐ前にある丸善でした。

実家のある新潟で、病院薬剤師の職を見つけることが

できなかった私は、当時まだ独身で東京に住んでいた姉の

強い誘いにのり、東京に出て行くことになりました。

ところが東京でも、病院での職を見つけることが難しく、

結局、大学卒業後、一番最初に就いた仕事は、

「塾の講師」 だったのです。

果たして、うまく教えることなどできるのだろうか ・・・、などと、

非常に不安だったのですが、弱気でいても仕方ありませんし、

そんなことでは、何より生徒さんに申し訳ない。

人様からお金をいただいて教えるからには、

 できる限り、しっかり勉強するぞ!」 と決心し、

とりあえず基本として、

教えるために、自分が勉強する教材を、

本屋さんに選びに行ったのです。

最初は、「せっかく東京にいるのだし、本屋街のランドマーク

との呼び声が高い、神保町の三省堂に行ってみよう!」

と、ピクニック気分で出かけたのでありました。

が、御茶ノ水駅を出てすぐ目の前に、

これまた有名な老舗(しにせ)、丸善があるではありませんか! 

「さすが神保町!」

( 住所的にいうと、ここの丸善は駿河台なんですね、一応注。)

いなかから上京したての私は、ひとつの街にデカイ本屋さんが

何軒もあるというのが、嬉しくてたまりません。

私は、す~っと引き込まれるように丸善の中に入っていきました。

そこで見つけたのが、この 『数学小辞典』 です。

編著者の代表は、かの高名な数学者、

矢野健太郎(やの・けんたろう)先生

矢野健太郎先生は、学習参考書も手がけておられたので、

無知な私も、お名前だけは知っていました。

ヤノケンの 『解法のテクニック』 を、同級生がしっかり

やりこなしているのを、タメ息混じりで傍らから眺めていた

その昔、 「落ちコボレ高校生」 だった私 ・・・。

ま、昔のことはどうでもいいのであります。

今となっては。。。 (^^;)

               

さて、

この 『数学小辞典』 の有難いところは、何と言っても、

調べたい事柄用語について、とりあえず引けば、

 大体の意味が、すぐにその場で与えられる

 ( もちろん、理解できるか否かは別として )」

ということに尽きます。

あたかも 国語辞典で単語を引くがごとくに

数学の用語の意味を調べられるのです。

これはですね、はっきり言って便利です

何を隠そう私は、身の程もわきまえず、本屋さんで、

岩波数学辞典 を手に取り、内容を見てはタメ息をつき、

そしてまた棚に戻す、

という同じ動作を、過去に5、6回やっているのです (^^;)!

  ( ・・・ タメ息ばかりの人生なり ・・・ )

しかしですね、この 『岩波数学辞典』 は、明らかに

プロフェッショナル および、プロの卵たちですな

素人(しろうと)には、どうして ドウシテ ・・・、

あの、もし購入する場合には覚悟して購入しましょう。

例えば、「オブジェになってもいいから、どうしても欲しい」

とか、「漬物石の代わりにしたい、とか。。。(^^;)

ま、冗談は このくらいにしまして、、、。

実際の話、

岩波数学辞典』 は、事柄について大きな項目を立てて、

それについて、とにかく詳しく、ひたすら詳しく、

ページ数も大胆に費やして解説されているのです。

もちろん 内容は、これ以上はないというくらい高度です。

「ちょっと調べたい」 というときには索引を引くしかなく、

索引を引いたところで、私などは 「 ………

というのが関の山なのでありまして (^^;)。

そもそも、ちょっと調べる」 向きではない のですね。

つまり、国語辞典のように手軽に調べるには不向きなのです。

この辞典は、「調べる」 という目的よりも、辞典自体を用いて

「学問する」 という目的に適うシロモノ でありましょう。

ですから、もうすでに数学者とか、数学科の学生さんとか、

他分野でも日頃数学を使う専門家には必携なのでしょうし、

「我こそは!」 と思う兵(つわもの)中・高校生には、

ぜひ頑張ってパラパラめくって欲しいとも思います。

しかし、数学の専門家といえども、おそらく間違いなく

共立出版の 『数学小辞典は、やはり便利 と感じていらっしゃる

のではないかと想像するのです。

何しろ、すぐにパ」 ですから (^^)。

しかも 解説は、学習途上にある人にとってであれば、

十分すぎるくらいの詳しさです。

それに、

辞典をパラパラめくって遊ぶのって、楽しいですよ!

私の場合、最初に調べようとした事柄から、

どんどんドンドン他の用語に目移りしちゃって、

いつの間にか1時間、2時間経ってたなんてことも

結構ありまして、そんなときは、

「もうちょっと効率良く、パパっと済ませられたらいいのに ・・・、

 これじゃ、いくら時間があっても足りん! 馬鹿 バカ ばか!」

と、後悔すること度々なのですが、こういう道草が案外

「種」 となり、将来 「芽を吹く」 可能性があるのだな ・・・、

という気がするのであります。

数学小辞典からは、

本当に多くのインスピレーションを いただきました!!!

「これ、魂の金鉱脈だったなぁ ・・・、

 何気に入った本屋さんで、いいの掘り当てた

という感じです。。。

                 

ただ、もしひとつだけ難点を挙げるとしたら、

ちょっと、記述が古いかな ・・・、

 もしこれ、新しく改訂版が出たら、完璧なんだけど ・・・」

ということでしょうか。。。

初版1刷目が1968年で、その後おそらく改訂版は出ていない

ものと思われます。

「四色問題」 についての記述で、

( 以下この記事中の “……” 部分 は、『数学小辞典』 からの引用

  “ … 1976年の8月についに解決された。… ”

となっているところを見ると、

チョコチョコっとした修正は行われているようですが、

「フェルマーの最終定理」 については、

( 『数学小辞典』 での項目名は、フェルマーの問題」

  “ … まだ決定的な解決は得られていない。

    … 一般的な証明は見つかっていない。… ”

となっています。

この 「フェルマーの最終定理」 は、イギリス人数学者

アンドリューワイルズさんが、1994年に完全な証明を発表して

認められ、今では解決済みの問題 になってしまいました。

( それにしても、このときの世界中の反応は忘れられません。

 新聞の一面記事にもなって、かなりの大騒ぎでしたよね (^^)!)

あと、面白いのは、

「作曲する機械」 なる項目もあって()、

  “ 広い意味での計算機・記憶装置などを組み合わせ、

   音楽の曲を作曲する機械のことで、現在はまだ

   実用になっていない。”

などと解説されており、これってまさに、現代の

コンピュータによる DTM とか、自動作曲とかのことですよね!

これが1968年時点での記述であるとすると(!?)、

数学者ってやっぱり、時代を牽引しているんだなぁ!

 ありがと~!」 と、

感謝の気持ちが沸々と沸き起こってきたりするのです。

時代の移り変わりも実感できて、楽しいですよね (^^)!

             

そんなわけで、記述が最新のものになれば、

言うことナシなのです。

共立出版さん、改訂を検討してくれないかな。。。

でも、コンピュータ関連の項目が増えすぎて、

今のコンパクトさは犠牲になるかもしれませんね ・・・。

ま、とにかく、この 数学小辞典 を、中学生、高校生、大学生、

そして新米教師の方々に、是非ともおススメしたいと思います。

がんばる気持ちがあるなら、小学生から持っていてもいい (*^^)v

                

ところで、

この記事を書いている最中にネットで見つけたのですが、

岩波 数学入門辞典 なるものが、2005年に出ているのですね!

これはいいかも (^^)!

実物は見ていないのですけれども、なんだか期待大!

さあ、皆さん、実際に本屋さんに出かけて、

自分の目で見て、確かめてみましょう。 そして、

「 イイ!」 と思ったら、思い切って買いましょう!

 ( 別に本屋の回し者ではありませんが (^^;)。)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年11月10日 (土)

ギリシャ数学とインド数学に敬意を表して

リカちゃんとタロウくん』 の主要登場人物の1人であるポリゴンは、

古代ギリシャ、ピタゴラス学派の数学者であり、

もう1人の主要登場人物マーナンダ大先生は、

紀元5~6世紀ころインドの数学者という設定です。

もちろん、この2人は、架空の人物なのですが ・・・ (^^)。

                        

書き始めた当初は、

とにかく、『 楽しくて分かりやすい算数読み物にしよう!』

・・・ と。

じゃあ、テーマは何にしよう ・・・

割合 』 と 『 』 かなぁ~、

なぜって、

これが苦手だという子供たちは、実に多いから。

・・・ で、

割合 について書くなら、『 分数 』 も書かなくては ・・・

というわけで、

割合 』 と 『 』、そして 『 分数 』 について、

基本のキから始めて、徹底的に基本のみを、

できるだけ親しみやすい言葉で、丁寧に解説しよう!

これを目標として書き始めたわけなのです。

ですから、『リカちゃんとタロウくん』 には、

難しい応用問題など、まるで出てきません。

ただ、小中学生向けの学習書としては異例なほど、

一つのテーマ(割合、比、分数)のみに焦点を当てて、

それを、ひたすら詳しく解説したものになっています。

                           

ところが、書いているうちにだんだんと、

もう少し別の目標も、生まれてきてしまいました。

それは、

こんにちの数学を築き上げるために努力した

 すべての人々に、心の底から感謝したい。

 とりわけ、ギリシャ数学と、インドの数学に ・・・

というものです。

これは、書き始めたころは全く意図していなかったことなのですが、

やはり、古代ギリシャの数学者と、古代インドの数学者を

キャラクターとして物語を進めていった結果、

思いついたことかな ・・・ と思います。

つまり、成り行きです (^^)。

                       

さて、今私たちが生きている現代は、

まことに、まことに、便利な世の中ですよね!

飛行機に乗って、地球の裏側に住むお友だちに会いに行く

ことができるし、電話もできるし、インターネットを使って

時差を気にせずメールのやり取りもできます。

「 待ち合わせの時刻に遅れそうなのに、

 車中でどうしても連絡がとれない、どうしよう (>_<)!」

なんてことは、10年くらい前には、しょっちゅうあったこと

なのですが、今は、携帯電話(メール)のおかげで、

少なくとも、相手に知らせることが出来るようになりました。

 ( これで破局を免れた方も多いのではないでしょうか (^^;)?)

実に有難いことだと思うのですが、

こういった有難いテクノロジーの土台となっているのが、

数学、物理学、化学、生物学 ・・・ などの基礎的な学問です。

ことに数学は、他の自然科学(物理、化学、生物などなど)を

語るための共通言語(道具)となっているので、

基礎中の基礎なわけですね。

だから、まずまず何をおいても数学に感謝したい、

ってことなんですが、

なんでとりわけ、ギリシャ数学と、インド数学なのか、というと、

現代の数学と、自然科学の発展のおおもとが、

この2つにあるように思えてならないからです。

                     

古代ギリシャ人は、

なぜ、○○○ なのか?

 ××× だから、○○○ なのである。

という、学問追究の基本的姿勢を、人類史上初めて

確立した民族で、この基本的な学問追究の態度こそが、

現代の自然科学をここまで発展させた一番の要因だと

思うからなのです。

ちなみに、この学問追究の基本的態度の始祖は、

タレス(紀元前624頃~546頃)であるといわれています。

タレスさんは、西洋哲学の祖」、「ギリシャ数学の祖」、そして、

「ギリシャ七賢人の1人」 といわれる大学者で、

いわば、「学問の開祖さま」 といったところでしょうか。

タレスさんの知的態度は、弟子たちに受け継がれ、

紀元前のギリシャでは、多くの天才たちが、

現代でもしっかり通用するすばらしい数学的業績を、

たくさん、たくさん残しました!

                    

さてさて、

ですが、現代の数学(と自然科学)がここまで発展するには、

もう一つ別の要因も必要でした。それは、

』 および、『 を用いた 10進位取り記数法 』 です。

10進位取り記数法 とは、

0 から 9 までの、たった10種類の数字だけで、

どんなに大きな数でも、また、どんなに小さな数でも、

簡単に表すことができる、という、

涙が出るほど有難い数の書き表し方のことです。

つまり、

普段私たちが日常生活で用いている数の表し方のことですね (^^)。

私は、『リカちゃんとタロウくん』 の中で、

ポリゴンに、

に出合ったことは、私の数学人生最大の事件でごんした。

 あれほど幸せな瞬間は、なかったでごんすよ~!」(205~206ページ)、

とか、

これ昔 (これとは、円周率のこと)

 計算するのたいへんだったでごんすよぉ~っ (^^;) !!! 」(218ページ)

などと言わせているのですが、

確かに、0 が無かった時代に、

『 計算する 』 ということが、どれほど大変であったかを考えると、

想像しただけで、クラクラするような気がしますよね。。。

ところで、この 『 0の発見は、インド人の業績なのです!

もし 0 がインド人によって発見されなかったら、

( おそらく世界の誰かによって、必ず発見されたでしょうが、)

現代の便利な生活は、もっと、ずっと、あと何百年も、

お預け状態だったのではないでしょうか ・・・

                       

もっとも、紀元前ギリシャで栄えた数学 と、

0 を用いたインドの代数学 が、うまく結びついて、

その後、数学発展の黄金期を迎えるまでには、なんと、

1000年強の時を待たねばならなかったのですが ・・・

ギリシャ数学と、インド数学の結合において、

超重要な役割を果たしたのが、アラビア人たちなのです。

ですが、アラビア数学については、

「 いつか続く ・・・?」 の話題 としましょう (^^)!

とりあえず今日は、

ギリシャ数学と、インド数学に、

 心の底から敬意を表して、深く、深く、感謝します・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)