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2008年3月

2008年3月 9日 (日)

ヘルマン・ヘッセの 『ゲルトルート』 を読んで

ヘルマン・ヘッセの 『ゲルトルート』

(新潮文庫 『春の嵐』 高橋健二(たかはし・けんじ)訳)を読みました。

前回ヘッセの 『デミアン』 についての記事を書いたことで、

ヘッセ熱に火がついたようです。

     

ゲルトルート』 は今回が2度目の読みでした。

最初に読んだのは、『デミアン』 読後の高1か高2の時で、

それ以後ずっと読んでいなかったので、実に二十数年ぶりの再読です!

かなり強い印象を受けた本であったにもかかわらず、

ほとんど全ての部分をきれいさっぱり忘れていました。 (ショック (^^;)

この本は実家の本棚に置いてあり、もはや手元にはなかったので

新たに近くの本屋さんで買いました。

今回読む前に覚えていた登場人物の名前は、

題にもなっているゲルトルートただひとり。

あとの登場人物は、読み始めてから、

「あ、そうそう、クーンだった!」 (主人公だっちゅーに (^^;)!) とか、

「あ、そうそう、ムオトだった!」 とかいう有り様で、

ストーリーもほぼ完全に忘れており、

「オノレはいったい当時、何を読んでおったのじゃっ (^^;)!」

という感じでした。

でも言い訳しますと、すごくよく覚えている部分もあるのです。

それは、主人公クーンのお父さんが息子クーンに語った人生論、

そして恋愛論です。

特に恋愛論のほうは、大学生になってから友人と話題にしたことがありました。

「ヘッセの小説のなかにこんなことが書いてあった」 と言って、

ふたりでしばし盛り上がったのです。

その恋愛論を、今ちょっと引用して皆さまにご紹介しましょう。

(以下 …… 部分新潮文庫 『春の嵐(ゲルトルート)』 より 引用。)

     

 …… 若い人たちのあいだの愛と

  長い結婚生活の愛とは同じものではない。

  若いときはみんな自分のことを考え、自分のことを心配している。

  しかし一度所帯を持つと、ほかの心配ができる。

  わしもそうだった。よく知っとくがいい。

  わしはおまえのおかあさんにひどくほれこんだ。

  ほんとの恋愛結婚だった。

  だが、それは一年か二年しか続かず、ほれた気持ちも止まってしまい、

  まもなくすっかりなくなってしまった。

  わしたちはたがいにどうしたらよいのかわからなかった。

  そのときちょうど、子どもができた。

  おまえのふたりの姉で、早く死んだが、わしたちには世話するものができた。

  そのためにわしたちたがいの注文は小さくなり、冷淡な関係がやんで、

  急にまた愛が現われた。

  もちろん古い愛ではなくて、まったく別な愛だ。

  それがそののち、たいしたつくろいの必要もなく、三十年以上続いた。

  すべての恋愛がそううまくいくわけではない。それどころか、

  そういくのはきわめてまれだ  (136ページ)

     

さて、いかがでしたでしょうか?

私とその友人は、

   「そんなものだろうか?」

   「そんなものだろう。。。」

ということで、最終的にはズーンと盛り下がってしまいました(笑)。

私とその友人は、クーンのお父さんの言った 「まったく別な愛

(以前の古い愛が消え去って、新たに生じたまったく別な新しい愛)」 を

家族的な愛」 と呼びました。

恋愛時代の性急な、情熱的な、しかしやはり他人に対する愛ではなくて、

これはもはや家族、肉親、親きょうだい、つまり、

血を分けた者に対する愛なのだ、・・・ と。

その友人は、すでに結婚して現在子どももいます。

今再びこれを話題にしたら、彼女はなんと言うだろう ?

こればかりは人それぞれですよね。

あまりに繊細な問題なので、なんだかもう話題にできないな。。。

     

ゲルトルート』 のテーマは、

とは何か」、「人生とは何か」 といったことだと思います。

もちろんこれは問いかけなのであって、

作中に答えが書いてあるわけではありません。

しかも、ヘッセによくある、「孤独で」 「悲劇的な」 展開です。

読んで楽しくなるような内容ではないのです。

でも一度読み始めたら、おそらく読まずに済ますことはむしろ難しい。

決して他人事ではないからなのです。

物語に出てくる登場人物たちの心理は、

大抵の人には経験のある 「苦い」 もので、深く心を捉えられます。

でも、単に苦いばかりでなく、なんとなく 「甘苦い」 のですね、これがまた。

ロッテという女性が チョイ役で出てくるのですが、この人がまた、

最後にひどくガーンとくる印象的な登場の仕方をします。

ロッテは脇役だし、物語終わり間際のこの出来事も、

脇役的出来事ではありますが、まあ、言ってみれば、

「山椒は小粒でも ピリリと辛い」 といったような感じでしょうか。。。

   ( こういうのは脇役とは言わないのかもしれませんね

    よくわかりませんが。。。)

     

あと、「仕事とは何か」、「仕事における成功とは何か」 といったことも、

改めて深く考えさせられました。

   ( これは常々考えていることなのですが・・・。)

私の感覚でいうと 「仕事」 とは、

死ぬまでの間に絶対にやっておかねばならない、と感じていること」、

これをやらずに死んではいけない、と感じていること」 なのですが、

   ( もちろん、「イヤだけどやらなければいけない」 ではなく、

    「何が何でも是非ともやりたい」 という意味合いです。)

世間的には、それに収入が伴っていないと仕事とは言わないようです。

     ああ!!!

・・・ まぁ、しかし、 がんばるのみです、ハイ。

とことんガンバリます

     

さて、ところでこの小説、

原題は、ドイツ人女性の名 『ゲルトルート』 なのですが、

新潮文庫での邦題は、『春の嵐』 です。

訳者の高橋健二さんが付けたのでしょうか? 

それとも編集者の考えだったのでしょうか?

主人公クーンの想いという意味では(あと、著者の考えを尊重するという意味では)

原題のままのほうがいいのでしょうが、

あえて邦題を付ける必要があったのだとしたら、この 『春の嵐』 は、

大成功だったと思います。

この小説に本当に似つかわしいタイトルです (と、私は思うのですが)。

まだ読んでいらっしゃらない方、おススメの一冊なり。 shine (^^) shine

     

  ( 追伸: ところでsign01

   なんか私の知らない間に、絵文字が使えるようになってたのです coldsweats01

   しかし、あんまし可愛くない絵文字ですが。。。  catface bottle )

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