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2008年1月18日 (金)

アラビア数学に敬意を表して(その3)

「その2(2008/01/12)」 からの続き )

アラビア半島は、

ムハンマド(マホメット)が創始した(610年頃)イスラム教により

統一され、9世紀(800年代)に入るころには、強大な宗教国家に

成長していました。

しかし、

   代々の教主は、いずれも学問の保護と奨励に力を入れたので、

   アラビアは宗教国としてばかりでなく、文化国家としても栄えた。”

   ( 以上、『モノグラフ 数学史』(科学新興新社)、60ページより “引用”

しかも、

   この地域には、ユダヤ教やキリスト教もあり、おおむね、

   宗教的な営みを邪魔されずに続ける自由があった。

   …… 高度な学問の研究所にあっても、他の宗教の人々が

   入る余地はあった。たとえば何人ものキリスト教徒の学者が、

   古代ギリシアの数学文献を翻訳する手伝いをしている。

   ( 以上、『はじめからの数学②代数学』(青土社)74ページより “引用”

    ジョンタバク(John Tabak)著、松浦俊輔(まつうら・しゅんすけ)訳

このように、

イスラム教は、宗教面にばかり力を入れていたわけではなく、

政治や文化全般にいたるまで、強い影響力をおよぼしていました。

重要なのは、

   学問にも力を入れ、自由があった

ということでしょうね。

国家の指導者は、学問に大金を投入したのでしょう。

   9世紀初頭には、首都バグダード「知恵の館」 と称する研究所

   設立され(832年頃)図書館天文台が付設されて、多くの学者

   文化人が集められました。

   シリア語やギリシア語からの翻訳が大規模になされたのは、

   この研究所においてだと言われています。

   ( 以上、 『はじめて読む 数学の歴史』(上垣渉)160ページより“引用”

この 「知恵の館」 を設立した政治指導者は、

アルマームーンという人物で、

   … これらの著作が領国内で得られないときは、アル・マームーンは

   それをビザンティウムという、時として敵対する国にある図書館から

   手に入れた。天文台も建て、学者に独自の貢献をするよう促した。

   その努力は実を結び、当時のバグダッドでは、

   新しい代数学の手法が発達した。” (以上、

   『はじめからの数学②代数学』(ジョン・タバク)76ページより“引用”

     

「知恵の館」

いいですねぇ~、この日本語訳!

やかた」 という音の響きには、

重々しく、(いい意味で)古めかしく、高貴な感じがあるようです。

どこか魔術めいていて 神秘的にも。。。

不思議に包まれた雰囲気」 は、大切ですね、多分。

未知なるものの探究に憧れて、多くの学者たちが引き寄せられて

きたことでしょう。

  ( あの、何気に宣伝というわけじゃないんですけど ・・・

   ・・・ と言いつつ、しっかり宣伝しちゃいますが ・・・ (^^;)、

   『リカちゃんとタロウくん』 で、

   物語の舞台となっている 比と割合のラビリンス

   これは、もろ、バグダードの 知恵の館 のイメージです

   プラトンの アカデメイア、アレクサンドリアの 大図書館

   そして何といっても、バグダードの 知恵の館  (^^)。)

     

さて、この 「知恵の館」 で、

はじめの頃に活躍した数学者の代表が、

ムハンマドイブンムーサーアル=フワーリズミー(780頃~850頃)

という人物。

長い名前ですね (^^;)。

この人は、永久にその名を歴史に刻むことになりました。

な、なんと、「単語」(普通名詞)になってしまったのです

アルゴリズムalgorithm )」 が、その 「単語」 です。

「アルゴリズム」 とは、

「(計算)方法、(計算)手順」 のことで、

「アル=フワーリズミー」 という名が、

ヨーロッパで間違って発音され、「アルゴリズミ」 になり、

後に 「計算法」 を意味する 「アルゴリズム」 になった

といわれています。

日本人にも、名前が 「単語」 になってしまった人物がいますが、

日本の 「助兵衛(助平)」さん とは、エライ違いですなぁ (^^;)!

  ( おっと、脱線している場合ではないのであった

ところで、

なんで 「アルゴリズム」 が、「計算法」 を意味するようになったかというと、

この アル=フワーリズミーさんが書いた 『インド式記数法による算術

は、「アル=フワーリズミー 曰く ( …は、語った。)」

という言葉で始まっていて、

この冒頭の文句が印象的だったためです。

この 『インド式記数法による算術』 は、もちろん、

インド人が発見し(5~6世紀? 9世紀(800年代)末は確実)、

後に アラビアに伝えられた 」 と、「0を用いた10進位取り記数法

を解説したものです。

また、この人は、他に

『 ヒサーブ・アルジャブル・ワル・ムカーバラ 』 というタイトルの

代数学の本」 を書いているのですが、

このタイトルの語の一部、「アルジャブル( al-jabr )」 が、

英語の algebra代数学) という単語になったのだそうな。。。

そういえば (^^)!

高校生のころ、この英単語を憶えたときに、

「なんか、妙~に英語っぽくない単語だな!」 って思ったんですが、

なるほど、外来語(アラビア語)だったわけですね!

  ( まるで昨日のことのように鮮明な記憶です。。。 (^^;)。)

この 「代数学の本」 は、

方程式での、項の「移項」 とか、項の「消去」 とかを解説し、

2次方程式の解法も論じています。

  ( もちろん、現代のように、

   未知数を文字で表したような方程式ではないし、

   数字も、1、2、3 という、いわゆる 「インド-アラビア数字」 ではなく

   「言葉表記」 なのですが。)

どんなふうに解いたかは、

『はじめて読む 数学の歴史』(上垣渉) の 163~164ページに

つきで詳しく解説されています。

今、「」 と申し上げましたが、アル=フワーリズミーは、

2次方程式を解くのに、正方形や長方形の面積を利用しました。

つまり、図形的に(幾何学的に)解いて、

その 「正しさを証明している」 のです。

これは、インドの代数学ではみられなかったことだそうです。

アル=フワーリズミーが、論拠に使った(らしい)事柄は、

ユークリッドの 『原論』 第2巻 のなかの 「ある図」

( ある命題の証明につけられた図 ) なのですが、

本当にそれを参考にしたのかどうかは、確証はなさそう。

しかし、次の “引用” をもって、

アル=フワーリズミーが、

いかにその後の代数学に貢献することになったか

お伝えすることとしましょう。

 ( 以下、 『はじめからの数学②代数学』(ジョン・タバク)

  80~81ページより “引用”

  (アル・フワーリズミーは)自分の解き方が正しいことの証明

   かかる。代数学の分野では、これはそれまでにないことで、

   しかも非常に重要なことだ。

   その証明のためにアル・フワーリズミーが選択した道具は

   幾何学だが、……(中略)……

   アル・フワーリズミーは 自分の代数学を、

   しっかりした論理的基盤の上に築きたいと思った。

   幸いなことに、演繹的推論の既成モデルが手元にあった。

   ギリシア幾何学の古典的著作だ。ギリシア人の幾何学は、

   アル・フワーリズミーにもきっとおなじみだっただろう。

   アル・フワーリズミーが生きていた間は、知恵の館所属の翻訳家は、

   せっせと古代ギリシアの著作を アラビア語に翻訳しており、

   当時は、配慮された数学的な推論の例としては、

   ギリシア人の著作による以上のものは、世界中のどこを探しても

   なかった。その著作には、厳密な証明があふれている。

   アル・フワーリズミーには、厳密な代数学の概念や、

   数学的厳密さのモデルが手近にあったということだ。

   両者を組み合わせて新しいものにしたところが、

   アル・フワーリズミーの偉大な洞察だった。

     

アラビア数学では、

アル=フワーリズミー以外にも、多くの数学者が

いろいろな研究で成果をあげたのですが、

アラビア数学隆盛の後期に現れた

オマルハイヤーム(1048頃~1131頃)をご紹介し、

そろそろ最後の締めくくりといきます。

この人は、3次方程式にまで手を伸ばし、

それを解くために幾何学的な手法を用いました。

な、なんと、2つの円錐曲線の交点として、解を求めたそうです

  (1つの放物線 と、

   あと1つの円錐曲線(放物線、円、双曲線) の交点 )

文字式など全然ない時代ですから、

代数学的に解くわけにはいかなかったとはいえ、、、

いやぁ~、スゴイ根性です (^^;)、 アッパレ!

     

( 以下、『はじめからの数学②代数学』(ジョン・タバク)より “引用”

   アル・フワーリズミーとオマル・ハイヤームの成果は、

   イスラム代数学の最高の、最も創造性のある面の例にも

   なっている。とくに、二人は代数学と幾何学を総合したことにより、

   代数方程式を新しい考え方で考えられるようになった。

   二人の成果により、代数と幾何の間に存在する関係の

   新しい見通しが得られた。二人は後代の人々に、

   代数学を研究するための新しい道具をもたらし、

   代数学の研究における厳密さの水準を高めた。 (89ページ)

     

さてさて、まとめますと、

  この時代のアラビア人たちは、

  外来の文化に対する偏見などまるでなく、

  素晴らしいものを 素晴らしいものとして、

   ガンガン受け入れた

わけですね。

  西からは、「ギリシャ数学」 を、

  東からは、「インド数学」 を。
            ↑
     (「0」と、「0を用いた10進位取り記数法」、
      それによる「代数(数の計算、問題)」)

そして、単に受け入れただけでなく、

知識を自分たちのものとして血肉化し、更に、それをもとに

自分たち独自の研究を進めて、数学を進化させました

ギリシャ数学には、インド式の記数法が欠けていたわけですし、

インド数学には、厳密な論証や、幾何学的知識が欠けていました。

     

  「 両者を融合し、更に進化させたアラビア人たちの業績、

   そして、決して忘れてならないのが、

   完全に消滅の様相を呈していた 古代ギリシャ数学

   完璧に引き継いでくれていたアラビア人たちの業績には、

   計り知れないほど大きなものがある

     

と思うのです。

残念なことに、

この後 アラビア地域は、政治的・宗教的不安定のために

自由に学問する気風が失われ、学者にとっては辛い時代に

入っていきます。

結果、アラビア諸科学は衰退し、今度は逆に、ヨーロッパが、

アラビアの学問を輸入する番になるのです。

これが、前にもお話しました、ヨーロッパでの 「12世紀ルネサンス

なわけですね。

ですから、

   中世ヨーロッパが アラビア人から受け取った数学 は、

   古代ギリシャ数学そのままのオリジナル などでは決してなく、

   その 混血発展型 だった

ということになりますね (^^)!

ヨーロッパ人は、

この 「混血発展型数学」 を、数百年かけて自分たちのものとし、

16世紀あたりから始まるキラ星のごとき 「大開花時代」 に

備えることになるのです。

皆さん、

   アラビア人がいなかったら、

   一体 どんな世界になっていたことでしょうね ?!

考えると、冷や汗が出てくる気がしませんか。。。

というわけで、

     ( いよいよ 「シメ」 です (^^;)

  『 アラビア数学に、

   心の底から敬意を表して、深く、深く、感謝します ・・・

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