アラビア数学に敬意を表して(その3)
( 「その2(2008/01/12)」 からの続き )
アラビア半島は、
ムハンマド(マホメット)が創始した(610年頃)イスラム教により
統一され、9世紀(800年代)に入るころには、強大な宗教国家に
成長していました。
しかし、
“ 代々の教主は、いずれも学問の保護と奨励に力を入れたので、
アラビアは宗教国としてばかりでなく、文化国家としても栄えた。”
( 以上、『モノグラフ 数学史』(科学新興新社)、60ページより “引用” )
しかも、
“ この地域には、ユダヤ教やキリスト教もあり、おおむね、
宗教的な営みを邪魔されずに続ける自由があった。
…… 高度な学問の研究所にあっても、他の宗教の人々が
入る余地はあった。たとえば何人ものキリスト教徒の学者が、
古代ギリシアの数学文献を翻訳する手伝いをしている。”
( 以上、『はじめからの数学②代数学』(青土社)74ページより “引用”
ジョン・タバク(John Tabak)著、松浦俊輔(まつうら・しゅんすけ)訳 )
このように、
イスラム教は、宗教面にばかり力を入れていたわけではなく、
政治や文化全般にいたるまで、強い影響力をおよぼしていました。
重要なのは、
「 学問にも力を入れ、自由があった 」
ということでしょうね。
国家の指導者は、学問に大金を投入したのでしょう。
“ 9世紀初頭には、首都バグダードに 「知恵の館」 と称する研究所が
設立され(832年頃)、図書館や天文台が付設されて、多くの学者、
文化人が集められました。
シリア語やギリシア語からの翻訳が大規模になされたのは、
この研究所においてだと言われています。”
( 以上、 『はじめて読む 数学の歴史』(上垣渉)160ページより“引用” )
この 「知恵の館」 を設立した政治指導者は、
アル・マームーンという人物で、
“ … これらの著作が領国内で得られないときは、アル・マームーンは
それをビザンティウムという、時として敵対する国にある図書館から
手に入れた。天文台も建て、学者に独自の貢献をするよう促した。
その努力は実を結び、当時のバグダッドでは、
新しい代数学の手法が発達した。” (以上、
『はじめからの数学②代数学』(ジョン・タバク)76ページより“引用”)
「知恵の館」 !
いいですねぇ~、この日本語訳!
「やかた」 という音の響きには、
重々しく、(いい意味で)古めかしく、高貴な感じがあるようです。
どこか魔術めいていて 神秘的にも。。。
「不思議に包まれた雰囲気」 は、大切ですね、多分。
未知なるものの探究に憧れて、多くの学者たちが引き寄せられて
きたことでしょう。
( あの、何気に宣伝というわけじゃないんですけど ・・・、
・・・ と言いつつ、しっかり宣伝しちゃいますが ・・・ (^^;)、
『リカちゃんとタロウくん』 で、
物語の舞台となっている 「比と割合のラビリンス」。
これは、もろ、バグダードの 「知恵の館」 のイメージです!
プラトンの 「アカデメイア」、アレクサンドリアの 「大図書館」、
そして何といっても、バグダードの 「知恵の館」 (^^)。)
さて、この 「知恵の館」 で、
はじめの頃に活躍した数学者の代表が、
ムハンマド・イブン・ムーサー・アル=フワーリズミー(780頃~850頃)
という人物。
長い名前ですね (^^;)。
この人は、永久にその名を歴史に刻むことになりました。
な、なんと、「単語」(普通名詞)になってしまったのです!
「アルゴリズム( algorithm )」 が、その 「単語」 です。
「アルゴリズム」 とは、
「(計算)方法、(計算)手順」 のことで、
「アル=フワーリズミー」 という名が、
ヨーロッパで間違って発音され、「アルゴリズミ」 になり、
後に 「計算法」 を意味する 「アルゴリズム」 になった
といわれています。
日本人にも、名前が 「単語」 になってしまった人物がいますが、
日本の 「助兵衛(助平)」さん とは、エライ違いですなぁ (^^;)!
( おっと、脱線している場合ではないのであった!)
ところで、
なんで 「アルゴリズム」 が、「計算法」 を意味するようになったかというと、
この アル=フワーリズミーさんが書いた 『インド式記数法による算術』
は、「アル=フワーリズミー 曰く ( …は、語った。)」
という言葉で始まっていて、
この冒頭の文句が印象的だったためです。
この 『インド式記数法による算術』 は、もちろん、
インド人が発見し(5~6世紀? 9世紀(800年代)末は確実)、
後に アラビアに伝えられた 「0」 と、「0を用いた10進位取り記数法」
を解説したものです。
また、この人は、他に
『 ヒサーブ・アル・ジャブル・ワル・ムカーバラ 』 というタイトルの
「代数学の本」 を書いているのですが、
このタイトルの語の一部、「アル・ジャブル( al-jabr )」 が、
英語の algebra (代数学) という単語になったのだそうな。。。
そういえば (^^)!
高校生のころ、この英単語を憶えたときに、
「なんか、妙~に英語っぽくない単語だな!」 って思ったんですが、
なるほど、外来語(アラビア語)だったわけですね!
( まるで昨日のことのように鮮明な記憶です。。。 (^^;)。)
この 「代数学の本」 は、
方程式での、項の「移項」 とか、項の「消去」 とかを解説し、
2次方程式の解法も論じています。
( もちろん、現代のように、
未知数を文字で表したような方程式ではないし、
数字も、1、2、3 という、いわゆる 「インド-アラビア数字」 ではなく
「言葉表記」 なのですが。)
どんなふうに解いたかは、
『はじめて読む 数学の歴史』(上垣渉) の 163~164ページに
図つきで詳しく解説されています。
今、「図」 と申し上げましたが、アル=フワーリズミーは、
2次方程式を解くのに、正方形や長方形の面積を利用しました。
つまり、図形的に(幾何学的に)解いて、
その 「正しさを証明している」 のです。
これは、インドの代数学ではみられなかったことだそうです。
アル=フワーリズミーが、論拠に使った(らしい)事柄は、
ユークリッドの 『原論』 第2巻 のなかの 「ある図」
( ある命題の証明につけられた図 ) なのですが、
本当にそれを参考にしたのかどうかは、確証はなさそう。
しかし、次の “引用” をもって、
アル=フワーリズミーが、
いかにその後の代数学に貢献することになったかを
お伝えすることとしましょう。
( 以下、 『はじめからの数学②代数学』(ジョン・タバク)
80~81ページより “引用” )
“(アル・フワーリズミーは)自分の解き方が正しいことの証明に
かかる。代数学の分野では、これはそれまでにないことで、
しかも非常に重要なことだ。
その証明のためにアル・フワーリズミーが選択した道具は
幾何学だが、……(中略)……
アル・フワーリズミーは 自分の代数学を、
しっかりした論理的基盤の上に築きたいと思った。
幸いなことに、演繹的推論の既成モデルが手元にあった。
ギリシア幾何学の古典的著作だ。ギリシア人の幾何学は、
アル・フワーリズミーにもきっとおなじみだっただろう。
アル・フワーリズミーが生きていた間は、知恵の館所属の翻訳家は、
せっせと古代ギリシアの著作を アラビア語に翻訳しており、
当時は、配慮された数学的な推論の例としては、
ギリシア人の著作による以上のものは、世界中のどこを探しても
なかった。その著作には、厳密な証明があふれている。
アル・フワーリズミーには、厳密な代数学の概念や、
数学的厳密さのモデルが手近にあったということだ。
両者を組み合わせて新しいものにしたところが、
アル・フワーリズミーの偉大な洞察だった。”
アラビア数学では、
アル=フワーリズミー以外にも、多くの数学者が
いろいろな研究で成果をあげたのですが、
アラビア数学隆盛の後期に現れた
オマル・ハイヤーム(1048頃~1131頃)をご紹介し、
そろそろ最後の締めくくりといきます。
この人は、3次方程式にまで手を伸ばし、
それを解くために幾何学的な手法を用いました。
な、なんと、2つの円錐曲線の交点として、解を求めたそうです!
(1つの放物線 と、
あと1つの円錐曲線(放物線、円、双曲線) の交点 )
文字式など全然ない時代ですから、
代数学的に解くわけにはいかなかったとはいえ、、、
いやぁ~、スゴイ根性です (^^;)、 アッパレ!
( 以下、『はじめからの数学②代数学』(ジョン・タバク)より “引用” )
“ アル・フワーリズミーとオマル・ハイヤームの成果は、
イスラム代数学の最高の、最も創造性のある面の例にも
なっている。とくに、二人は代数学と幾何学を総合したことにより、
代数方程式を新しい考え方で考えられるようになった。
二人の成果により、代数と幾何の間に存在する関係の
新しい見通しが得られた。二人は後代の人々に、
代数学を研究するための新しい道具をもたらし、
代数学の研究における厳密さの水準を高めた。” (89ページ)
さてさて、まとめますと、
この時代のアラビア人たちは、
外来の文化に対する偏見などまるでなく、
「 素晴らしいものを 素晴らしいものとして、
ガンガン受け入れた 」
わけですね。
西からは、「ギリシャ数学」 を、
東からは、「インド数学」 を。
↑
(「0」と、「0を用いた10進位取り記数法」、
それによる「代数(数の計算、問題)」)
そして、単に受け入れただけでなく、
知識を自分たちのものとして血肉化し、更に、それをもとに
自分たち独自の研究を進めて、数学を進化させました!
ギリシャ数学には、インド式の記数法が欠けていたわけですし、
インド数学には、厳密な論証や、幾何学的知識が欠けていました。
「 両者を融合し、更に進化させたアラビア人たちの業績、
そして、決して忘れてならないのが、
完全に消滅の様相を呈していた 「古代ギリシャ数学」 を
完璧に引き継いでくれていたアラビア人たちの業績には、
計り知れないほど大きなものがある 」
と思うのです。
残念なことに、
この後 アラビア地域は、政治的・宗教的不安定のために
自由に学問する気風が失われ、学者にとっては辛い時代に
入っていきます。
結果、アラビア諸科学は衰退し、今度は逆に、ヨーロッパが、
アラビアの学問を輸入する番になるのです。
これが、前にもお話しました、ヨーロッパでの 「12世紀ルネサンス」
なわけですね。
ですから、
中世ヨーロッパが アラビア人から受け取った数学 は、
古代ギリシャ数学そのままのオリジナル などでは決してなく、
その 「 混血発展型 」 だった
ということになりますね (^^)!
ヨーロッパ人は、
この 「混血発展型数学」 を、数百年かけて自分たちのものとし、
16世紀あたりから始まるキラ星のごとき 「大開花時代」 に
備えることになるのです。
皆さん、
アラビア人がいなかったら、
一体 どんな世界になっていたことでしょうね ?!
考えると、冷や汗が出てくる気がしませんか。。。
というわけで、
( いよいよ 「シメ」 です (^^;)!)
『 アラビア数学に、
心の底から敬意を表して、深く、深く、感謝します ・・・。』
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